Endurance for Learning Mathematics
数学の才能とは持久力か?[2001.07.07]
数学の才能に恵まれない(なかった)筆者が書いても、説得力がないかもしれないが、数学で最も価値のあると思われるものは、
- よい問題(予想)を見つけること
- 未解決の問題を解く(証明する)こと
である。[よい問題とは何かは明示的には定義できないが、ここでは、その分野の研究者の多くが興味を持ち、その問題を解くことが(適度に/かなり/著しく)難しく、その分野あるいは関連する分野の発展に貢献しそうなものとする。]
そのためには、問題解決に必要と予想される理論/道具に関して、
- これまでに開発された理論/道具を理解する
- 新しい理論/道具を開発する
- 理論/道具を使いこなせるようになる
ことが必要である。多くの数学者が挑戦しても未解決である問題(例えば、P=NP?問題、Riemann予想、Birch-Swinnerton-Dyer予想など)は、当然解く(証明する)ことが難しいので、従来の理論/道具の組合せだけでは、解けない可能性も高い。この場合、新しい理論/道具を開発する必要がある。
世間でいわれる数学の才能は、試験の問題がその時間内に解けることを指しているが、これは、上記の才能とはほとんど関係がない。試験の問題は解けることが分かっているものだけ(まれに、出題ミスで解けない問題がでることもあるが)であり、解き方を知っているか/短時間で正確に解けるか(瞬発力に相当する)どうかを試すものである。
現代の数学の理論/道具は高度に抽象化され、習得するのに時間がかかるようになっている。大学の4年間だけでは、その時点の数学の最先端レベルまで到達することは凡人(筆者も含む)には難しい。これを解決するには、小学校、中学校、高等学校から、試験のための数学をなくして(例えば、合格点をとれば、点数の差をつけないようにする)、その代わりに、余った時間にその時点の最先端の数学を教えることができれば、無駄がなくていいのではないかと思う。極論すれば、高等学校の数学は飛ばして、大学レベルの数学をやった方が良いし、大学の数学科の入学試験では、数学の試験をなくしてもよい。
数学を学ぶためには、その理論/道具を理解する能力は、当然必要だが、時間がかかってもよい。分かったつもりになっても、後から考えると、表面的な理解に過ぎないこともよくあるので、時間をかけてゆっくり取り組むことがよい場合もある。また、難しい問題を解くまでの時間は長く、当然解ける保証もないので、長期間にわたって、集中的に一つの問題を考え、あきらめずに努力する(持久力に相当する)ことも必要である。これが実践できることは一つの才能であり、他の条件が揃っていても、これが不足していると、おそらく成果は得られないだろう。
凡人は数学の才能の有無を気にすることなく、気長に取り組むことで道が開けるのではないかと信じている。数学は蓄積の学問であり、例えば、19世紀の天才数学者であるGauss(1777-1855)やGalois(1811-1832)の考えたこと(の一部)を、現代の凡人である筆者が理解することはできるのだから。
Last Update: 2005.06.12 |
H.Nakao |